【触手責め】「蛸と海女」が現代に蘇る!美女の性器や肛門に侵入凌辱

【触手責め】「蛸と海女」が現代に蘇る!美女の性器や肛門に侵入凌辱 雑記
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創作物に登場する触手は、生物の体から伸びる細長い部位や、細長い体それ自体を意味する。アニメや映画に登場する触手は、人間を攻撃したり、人間を捕らえて拘束したりする。AV作品では、触手が生殖器の役割も果たし、捕らえた女性(もしくは男性)の口や性器、肛門に侵入して凌辱する。性的な要素がある場合は「触手責め」と呼ばれ、海外では”tentacle erotica”(テンタクル・エロティカ)と訳される。

学術用語としての「触手」とは?

学術用語としての「触手」は、無脊椎動物の口の周囲に輪状に分布する伸縮や屈曲が可能な糸状あるいは紐状の小突起を意味する。表皮の位置日で、感覚器や捕食器などの役割を担っている。

たとえば、棘皮動物のナマコ類の口の周りに分布する触手は、運動をしたり、エサを捕らえたりするのに用いられる。また、刺胞動物のイソギンチャクは、口の周りに円形に触手が生えていて、エサを捕らえるのに用いられる。

軟体動物のタコやイカの足(腕)も触手と考えられがちだが、学術的には触手とはされない。

触手責めの起源

性的な要素のある触手責めの起源は、江戸時代の艶本(男女の性交渉を絵や文章で表現した本)や春画(性行為の様子や性的なものを描いた絵)にしばしば描かれた「蛸と海女」のモチーフとされる。

中でも有名なのは、浮世絵師、葛飾北斎が描いた春画『蛸と海女』だ。先行作品には、北尾重政の艶本『謡曲色番組』や勝川春潮の艶本『艶本千夜多女志』などがある。

北斎が描いた『蛸と海女』は、文化11 (1814) 年に出版された艶本の『喜能会之故真通』の中にある一場面だ。2匹のタコが全裸の海女に絡み付いている。小さなタコは海女と接吻し、大きなタコは海女の女陰を舐めている。その背景に記されているのは、喘ぎ声や性行為の音、卑猥な言葉などだ。

江戸時代末期の浮世絵師、歌川国芳の『源氏雲浮世画合 玉葛』にも、大きなタコに追われる海女が、左手に宝玉を持ち、右手の短刀で振りかざしている様子が描かれている。この浮世絵の原作は香川県さぬき市志度に伝わる「海女の玉取り伝説」だが、海女を追う竜神がタコに置き換えられた。「蛸と海女」のモチーフが引き継がれたのだろう。

前田俊夫が広めた触手責め

「蛸と海女」のモチーフを現代のマンガやアニメなどに広め、「触手責め」というジャンルを確立したのは漫画家の前田俊夫だ。1984~1986年に『漫画エロトピア』(ワニマガジン社)で連載された『超神伝説うろつき童子』では、粘液まみれの触手がヒロインらを捕らえ、女陰や肛門に侵入し、精液をぶっかけるという過激な触手責めを描いた。アニメやゲームにもなった作品で、「触手責めの元祖」としても知られる。

1985~1992年に発売されたOVA『ドリームハンター麗夢』では、夢魔の触手に捕らわれた大富豪の娘が描かれた。1986年の劇場アニメ『強殖装甲ガイバー』では、ガイバー2に変身する女性、ヴァルキュリア監察官が触手に絡め捕られるシーンが見られる。触手責めというほど過激ではないものの、女性が触手に捕らわれる描写には多少なりとも性的な意図があったのは間違いないだろう。

米国の心理学者・評論家、ジェリー・S・ピヴェンは、北斎の陽気な「蛸と海女」のイメージが現代メディアの暴力的な「触手責め」につながっていることには懐疑的で、第二次世界大戦後に日本社会全体で経験した混乱の産物であり、結果的に既存の暴力描写を反映したものだと主張する。メディアなどの研究で有名な学者、ホルガー・ブリールは、タコとの交流に慣れている社会でのみ、「蛸と海女」のようなイメージが生まれる可能性があると指摘する。

「蛸と海女」のモチーフは、フェリシアン・ロップス、オーギュスト・ロダン、ルイ・オーコック、フェルナン・クノップフ、パブロ・ピカソなど、後世の海外の芸術家にも影響を与えた。たとえば、ピカソは北斎の『蛸と海女』を所蔵していて、これに強い影響を受けた『横たわる裸婦』を1932年に描いた。

触手責めをテーマとした実写作品

日本では1990年代から触手責めの実写作品がいくつも作られるようになった。有名な作品としては、ソフト・オン・デマンドの『触手アクメ』シリーズがある。また、GIGAの『触手十字架地獄』シリーズは、特撮ヒロインと触手のコラボを楽しめる。

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